逃げて掴んだ二冠 サニーブライアン
サニーブライアンの皐月賞は印象に残るレースでした。
あれほど不可解な気持ちになったことは無かったからです。
その年、1997年のクラシックは盛り上がっていました。
メジロライアン初年度産駒のメジロブライト。
ランニングフリー産駒という超マイナー血統のランニングゲイル。
サンデーサイレンス産駒のサイレンススズカ。
ブライアンズタイム産駒のシルクジャスティス。
サンデーサイレンスをはじめとした輸入種牡馬全盛の時代。
メジロブライト、ランニングゲイルがマル父の星として
クラシックに挑むという図式でした。
対するサニーブライアン。
皐月賞までほとんど目立たぬ馬でした。
正直に言って、記憶にないのです。
ただ、戦績を改めて見てみると、同世代の強豪馬と
レースをしていることに気が付きます。
デビュー戦でスカラシップを負かし、
2戦目でクリスザブレイヴと対戦。
3戦目で府中3歳Sに挑み、4戦目でスピードワールドに完敗。
この時のスピードワールドは異次元の強さでした。
5戦目、ファンネルマークの2着に入ると
6戦目のジュニアカップでトキオエクセレントを相手に勝利。
これが2勝目となりました。
当時2000mで行われていたジュニアカップの勝ち時計は
2.03.7で上りは36.5。クラシック候補と呼ぶには平凡すぎました。
7戦目、弥生賞でランニングゲイルの3着。皐月賞の権利を獲得します。
ただ、このレースはランニングゲイルの圧勝ぶりが際立ち、
サニーブライアンへの注目は少ないものでした。
8戦目、当時中山で行われていた若葉Sに出走。
ここでは1番人気に支持されますが4着に敗れます。
そして迎えた9戦目、皐月賞。
弥生賞で3着とは言えランニングゲイルから大きく離されており、
権利を持っているにも関わらず出走した若葉Sで負けている。
実力、臨戦過程、インパクト、どれを取っても強調材料はなく、
11番人気という評価は極めて妥当なものでした。
かくしてレースはスタート。
注目は後方の馬たちです。一体どこで上がってくるのか...
サニーブライアンが逃げていることなど、気に掛けません。
4コーナー。カメラが先頭を映すと、
サニーブライアンが後続をやたら離しています。
「いや、どうせバテる、というかバテてくれ、やめてくれ」
どよめきの中ゴールは迫り、サニーブライアンは1着でゴール。
4コーナーのリードを一歩一歩詰められながら、
ギリギリ粘りきっての勝利でした。
2着にシルクライトニング。3着にフジヤマビザン。
メジロブライトもランニングゲイルも伸び切れず、
上位3頭は揃いも揃って人気薄。
それでいて「強い勝ち方」という印象はなく、
「何とか粘った」という印象。
タイムも2.02.0で上りが36.5。
G1では考えられないような平凡な時計だったのです。
「フロック」という言葉が出ても仕方がなかったのです。
実際、今でもフロックだったと思います。皐月賞に関しては、展開の理があった
と。
ちなみに、私はこのレースのインタビューで初めて大西騎手の顔を見ました。
「誰だこのカッコイイ人は」と思いました。
さて、皐月賞を勝ったらダービーです。
しかしここでも7番人気。
まあ、当然なんですよね。前走はフロックだったんですから。
しかもダービーは東京競馬場。
末脚を武器とするメジロブライトやシルクジャスティスが本領を発揮すれば、
あっさり交わせるというのが大方の見方でした。
さらに、逃げ馬サイレンススズカの存在もありました。
それでもサニーブライアン陣営は堂々の逃げ宣言。
かくしてレースはスタートします。
皐月賞に続いて大外18番枠から迷わずハナを奪います。
サイレンススズカは距離適性の不安もあり、
折り合いを欠きながらも2番手に控えます。
レースの流れはややスロー。
絶好のペースから直線に向くと、後続を突き放します。
追ってくるシルクジャスティス、メジロブライトを抑え
堂々のゴールイン。
皐月賞とは違い、強さを感じさせる逃げ切り勝ちでした。
この勝利によってサニーブライアンの強さは初めて認められました。
しかし、レース後骨折が判明。
ゴール後、騎手のガッツポーズ時にバランスを崩したことが原因とも言われまし
た。
長期休養を余儀なくされ、結局は故障が重なり引退となりました。
サニーブライアンの皐月賞はフロックのように見えました。
しかし、ダービーは実力でした。
1ヶ月半の間に馬が成長したのか、もともと強かったのか、
皐月賞も実は強い競馬だったのか、周りが弱かったのか。
結局答えは分からずじまいでしたが、
その後シルクジャスティスは3歳で有馬記念を勝利し、
翌年メジロブライトが天皇賞(春)を制しています。
